マルクス経済学は改めてどのように評価すべきか|マクロ経済を考える #10

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#9では「新自由主義(ネオリベ)」と「囚人のジレンマ」の解消法について考察を行いました。

途中の記載で「社会主義」についてご紹介しましたので、#10ではその関連として「マルクス経済学」について取り扱いたいと思います。(先に但し書きですが、「マルクス経済学」についてはそのまま理解しようとすると難解であるのと、19世紀までの世の中しか反映できていないと考えるとそれほど絶対視する必要もない、ということからそれほど厳密な理解を試みないものとします。)
マルクス経済学」は冷戦におけるイデオロギー対立が起こった要因でもあり、主にソ連(ソビエト連邦)を中心とする東側陣営が「マルクス主義」や「マルクス経済学」に基づいて国家運営がなされてきました。

冷戦の終結により「マルクス経済学」はあまり顧みられなくなりましたが、「ケインズ経済学」を中心としていた20世紀中盤の資本主義が比較的「労働者への配分」が行われていたのは「冷戦」において「マルクス経済学」に対抗していたことに要因があるかもしれません。ということで、#10では「マルクス経済学」についてざっくり把握し、改めてどのように評価すべきかを考察したいと思います。
以下、当記事の目次になります。
1. マルクス経済学の概要
2. 冷戦におけるマルクス経済学
3. なぜソ連の運営はうまくいかなかったのか
4. マルクス経済学は改めてどのように評価すべきか
5. まとめ


1. マルクス経済学の概要
1節では「マルクス経済学」の概要に関して確認します。「資本論」などをしっかり読み解くのは大変なので、Wikipediaを参考に「マルクス経済学」のキーワードをいくつか書き出して概要を把握しようと思います。

マルクス経済学(カール・マルクスの主著『資本論』において展開された、諸カテゴリー及び方法論に依拠した体系)
・労働価値説(人間の労働が価値を生み、労働が商品の価値を決めるという理論)
剰余価値(生活に必要な労働を超えた剰余労働(不払労働)が対象化された価値)
・計画経済(経済の資源配分を市場の価格調整メカニズムに任せるのではなく、国家の物財バランスに基づいた計画によって配分される体制。市場経済が対義語)
社会主義個人主義的な自由主義経済や資本主義の弊害に反対し、より平等で公正な社会を目指す思想、運動、体制)
共産主義(財産の一部または全部を共同所有することで平等な社会をめざす。広義には共同体(コミュニティ)のための財産共有を意味し、狭義には特にマルクス主義・ボリシェヴィズム・マルクス・レーニン主義などを指す)
階級闘争(生産手段の私有が社会の基礎となっている階級社会において、階級と階級とのあいだで発生する社会的格差を克服するために行われる闘争。この闘争により革命が起きるとされる)
・国家の終焉(共産主義社会では、国家権力は徐々に不要となるというフリードリヒ・エンゲルスによって造語されたマルクス主義者の概念)
レーニン主義

上記などから、「計画経済」に基づいて「労働」が価値を生むと考え、平等な社会を実現する、というのが主な主張とざっくり考えて良さそうです。これに基づいて財産を共有して所有する「共産主義」の考え方も主張されています。「共産主義」はソ連の独裁のイメージが強いですが、元々の理論としては「国家の終焉」のように「国家権力が徐々に不要となる」とされました。が、現実は事実上の独裁が実現されたことは抑えておく必要があると思います。

どちらかというと「経済学」というよりは「政治哲学」と考える方が良さそうですが、マルクスが「資本論」などを主張した19世紀中盤ではそれほど区別がなかったのかもしれません。さらに、#9でも触れたようにそもそも「マクロ経済学」自体が「政治哲学」に基づく下位概念と理解しておく方が良いのかもしれません。主に「ミクロ経済学」などが複雑な数式で表現されることで、「経済学」がそもそもなんらかの「政治哲学」を背景にして考察されているものである、という認識が抜けやすいと思われるので注意が必要だと思います。(個人の自由、権利、平等などをどのように考えるかで、経済学的な表現が大きく異なってくることは必ず抑えておくべきだと思います)

大体の概要についてつかめたので1節はここまでとします。

 

2. 冷戦におけるマルクス経済学
2節では「冷戦」における「マルクス経済学」について簡単に確認します。「冷戦」については、主に「共産主義社会主義」の「ソ連」を中心とする東側諸国と、「自由主義・資本主義」の「アメリカ」を中心とする西側諸国の世界の覇権争いです。WTO(Warsaw Treaty Organization)とNATO(North Atlantic Treaty Organization)の争いと抑えておくのも良いと思います。
この「冷戦」は「第一次世界大戦」や「第二次世界大戦」と同様に、世界規模の覇権争いだったわけですが、「冷戦(Cold War)」とも言われるように、「ソ連」と「アメリカ」が直接戦争をするのではなく、「代理戦争」や「兵器の開発競争」などによって覇権争いがなされました。

このとき「マルクス経済学」の対になったのが「ケインズ経済学」で、これが「冷戦時」の「社会主義(計画経済)」と「資本主義(市場経済)」の戦いと考えて良いかと思います。また、「独裁」と「権力分立」の戦いと考えることもできると思います(「共産主義」と「自由主義」と見ても良いと思いますが、「共産」と「自由」のどちらも多義的なので、「独裁」と「権力分立」と表現しました)。一党独裁かつ「行政・立法」のどちらも有していたソビエト連邦最高会議に対し、対するアメリカは二大政党制かつ三権分立であり、「独裁」と「権力分立」の視点はそれほど外れてはいないと思います。

第二次世界大戦後の1950年頃から1980年頃までは大きな対立が続いていた「冷戦」ですが、徐々にソ連の運営がうまくいかなくなり、1989年に冷戦が終結し、1991年にソ連が崩壊し主な領土はロシアに引き継がれます。

「冷戦」における「マルクス経済学」について大まかに確認できたので2節はここまでとし、3節ではなぜソ連の運営がうまくいかなかったのかについて考えたいと思います。

 

3. なぜソ連の運営はうまくいかなかったのか
3節ではソ連の運営がうまくいかなくなった理由について一般論を確認し、考察できればと思います。一般論としては、「社会主義」に基づく「計画経済」的な経済の運営に限界があったとされるのではないかと思います。

筆者の見解は、「計画経済」にも原因があったと思いますが、それ以上に「独裁」と「権力分立」の差が大きかったのではないかと思います。ソ連の選挙では「共産党からしか立候補できないことで、事実上「一党独裁」だったわけですが、「一党独裁」の状況で「計画経済」を行うにあたっては有用な反対意見が指導者の一存で否定される可能性があります。これにより、大きな間違いが生じた際の軌道修正が難しくなります。また、「計画経済」が「市場経済」ほど小回りがきかないために、指導者が少し方針を間違えただけで大きな問題が生じえます。

また、そもそも古典派や新古典派の経済学のアンチテーゼ的に出てきた「マルクス経済学」に対し、「有効需要」によって労働者への分配も考慮することができた「ケインズ経済学」が上位互換として機能したというのも理由なのではないかと思われます。近年のネオリベ的な「資本主義」とは異なり、「ケインズ経済学」は市場の失敗に対してもある程度は頑健な対処が可能なので、「マルクス経済学」の利点が消されたと考えることができるかもしれません。

3節で論じた「ソ連の運営がうまくいかなかった理由」をまとめると、下記になります。

・「ケインズ経済学」が「マルクス経済学」の上位互換的に作用した
・「計画経済」では「市場経済」ほど小回りがきかないため、中央政治の意思決定をミスなく行う必要がある
・「独裁」状態では「権力分立」に比べて間違いの修正ができない場合がある

続く4節ではここまでの内容を元に、「マルクス経済学は改めてどのように評価すべきか」について議論したいと思います。

 

4. マルクス経済学は改めてどのように評価すべきか
4節では3節までの内容を元に、「マルクス経済学は改めてどのように評価すべきか」について考察したいと思います。

筆者の見解としては、基本的には「マルクス経済学」は「ケインズ経済学」で上位互換的な代用が可能であるということです。行き過ぎた「資本主義」は「富の偏り」を生じさせ、その結果として争いが生じるというのが「マルクス経済学」の土台にあると思われますが、「マルクス経済学」は「階級闘争」や「革命」なども同時に主張されるなど、少々粗野な印象を受けます。これに対し「ケインズ経済学」では「有効需要」などから生じる再分配によって「労働者への分配」がなされる一方で、「資本主義」に基づく「市場経済」による恩恵も受けることができます。

一方で、「大恐慌時」に「古典派・新古典派」に対するアンチテーゼとしては「マルクス経済学」は十分機能したと思われます。結果的に「古典派・新古典派」は「ケインズ経済学」に置き換わりましたが、「マルクス経済学」に基づく「五カ年計画」によってソ連は大きく国力を伸ばしたとされています。

昨今の懸念について、「行き過ぎた資本主義も独裁状態を生じさせるのではないか」というのがあります。#9で簡単に触れたように「献金」による「レントシーキング」に基づいた国家運営は進め方によってはソ連のようになる危険性があります。したがって、ソ連の独裁化の過程やその後に対する考察は「行き過ぎた資本主義による独裁」の回避についても考察するきっかけになるのではないかと思います。

「独裁」については様々な見方があるかもしれませんが、「卓越した独裁者が存在したとしても必ずしも良い後継者を選ぶことはできない」と考えると、「独裁」よりも「権力分立」による「均衡」に基づいて社会が運営される方が良いかと思います。「国際政治」などにおける「集団安全保障」も考え方は似ており、「世界統一政府」を構築するよりも多数の国家の「意思決定」に基づく、「集団安全保障」の方が権力が集中しないで望ましいのではと思います。現代社会は「アメリカ」を中心とする国際秩序が確立されていますが、「アメリカ」は「大統領制」に基づいて厳格な「権力分立」を行っており、この辺はなかなか面白いところだなと思います。

また、20世紀と21世紀で大きく違うのは「生産コストの低下」とそれに伴う「インフラ維持のための労働者需要の減少」です。第一次産業第二次産業第三次産業とありますが、昨今は第三次産業の従事者が増えています。ということは、潜在的には「労働の需要」は低下しており、「公共の共有財を増やすべき」という意味合いで「共産」という概念が今後重要になるのかもしれません。マイケル・サンデルなどの「共同体主義(communitarianism)」は「共産主義(Communism)」と言葉も似ており、穏健な意味合いでの「共産」的な考え方は「共同体」的な考え方にも受け継がれるのかもしれません。

 

5. まとめ
当記事では「マルクス経済学」について取り扱ったわけですが、冷戦やソ連のイメージがどうしても先に来がちだと思われるので、この辺は差し引いた上で評価をするのが良いのではと思われました。
「計画経済」は「ケインズ経済学」で、「共産主義」は「共同体主義」で代用できるのではないかと思いますが、不要不急な第三次産業への従事者が社会の中心になるにあたって、「公共財」や「再分配」については再度見直しが必要になるのかもしれません。とはいえ、「マルクス経済学」自体は19世紀までしか反映できていないので、「アダム・スミス」などに代表される「古典派・新古典派」と同様に評価し、現代社会にそのまま適用すべきではないのではないかと思います。

マルクス経済学」については筆者もそれほどはっきりと理解できているわけではないので、当記事はあくまで概要をまとめただけです。ですので、何かしらの機会にまた改めて取り扱いたいと思います。(記載に誤りなどがありましたらご指摘いただけましたら嬉しいです。)