新自由主義が引き起こす囚人のジレンマはどのように解消すると良いか|マクロ経済を考える #9

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#8でデリバティブ(金融派生商品)の規制について考えましたが、デリバティブミルトン・フリードマン以降の経済学の主流である「新自由主義」と関連付けて考えて良いかと思います。
フリードマンの研究は「マネタリズム」とまとめられるようですが、マネタリズムそのものよりも昨今ではフリードマン以後のシカゴ学派などによる「新自由主義(Neoliberalism)」的な考え方が社会運営の基盤になっているようです。
新自由主義」の特徴としては、「個人の自由」と「市場原理」などが挙げられ、「政府による個人や市場への介入は最低限とすべき」と考えられ、「民営化」などが進められます。

新自由主義(ネオリベ)」の考え方自体は賛否があるものであり、特に人によって見解の総意が大きい考え方のような印象を受けます。「全面的賛成」と「全面的反対」の方が多いように見えますので、当記事では「新自由主義」が原理的に引き起こす「囚人のジレンマ」の見地から、「新自由主義」について論じてみようと思います。

以下目次になります。
1. 思想の整理(ネオリベ、社会的公正、社会主義 etc)
2. 新自由主義囚人のジレンマを引き起こす
3. 新自由主義をどのように制御すべきか
4. 現代日本の政策と新自由主義
5. まとめ


1. 思想の整理(ネオリベ、社会的公正、社会主義 etc)
1節では思想の整理を簡単に行えればと思います。数式などを用いた複雑かつ専門的な論理というよりは、何を重要視するかという「優先順位」を決めるのがこのような思想になると理解して良いかと思います。「経済学」というよりはどちらかというと以前の記事でも簡単にまとめた「政治哲学」の領域に近いかと思います。

この思想に関しては様々な思想があると思いますが、あまり学術的に詳しく取り扱ってもわかりにくいため、大まかに「経済活動などを社会運営の視点から見た際に何を重要視するか」の目線に基づき、大別したいと思います。

ネオリベ(Neoliberalism)
共同体主義(communitarianism)
・社会的公正(Social liberalism)
社会主義(socialism)

上記では現代社会において、「個人の自由」を尊重すると考えた際に出てくる主要な思想について列挙してみました。学者を挙げるならネオリベミルトン・フリードマン共同体主義マイケル・サンデル、社会的公正はジョン・ロールズケインズ社会主義マルクス(そもそもマルクス社会主義よりも共産主義を中心に唱えたとされているのと、マルクス共産主義ソ連などが行った共産主義は同一視できない可能性もあるため評価が難しい)がざっくり挙げられるかと思います。あまり極端な思想は現代社会には適さないと思われるため、この記事においては社会主義については「単に国営の企業が多い労働者が中心の社会」を指すものとします。

冷戦後の世界を考えた際に、「社会主義ソ連では生産性が向上せず西側陣営の資本主義が上回った」という風に考えている方も多いかもしれませんが、1980年頃までのアメリカなどの西側諸国で主流だったのはケインズ経済学であり、どちらかといえばネオリベよりも社会的公正的な経済政策だったとも考えられます。ケインズ経済学は「財政政策」を通して再配分などを行ったりもするので、絶対的な「資本主義」というより、一部「社会主義」的な要素も取り入れられていると考えて良いかと思います。

このように、「資本主義」、「社会主義」という言葉は「冷戦」による対立ほど明確な二項対立の概念ではなく、グラデーションがあるものと見て良いと思います。ソ連の指導者だったゴルバチョフが1980年代頃の主にケインズ経済学に基づいて発展してきた日本を「最も成功した社会主義国」と称しているように、「資本主義」と「社会主義」の二分類が必ずしも適切ではないと考えておくのが良いかと思います。

「資本主義」について評価するにあたっては、昨今はネオリベ的な考え方が主流ですが、冷戦において西側諸国が上回った主要な理由の一つはケインズ経済学に基づく「社会的公正」があったのではないかというのが筆者の見解です。そのため、ネオリベ的な考え方に基づく昨今の変化である、「民営化」や「規制緩和」的な流れは絶対的に正しいものではなく、どのレベルで行うのが良いのかは慎重な議論が必要だと思われます。「デリバティブ」一つ見ても金融の不安定化のリスクが大きいし、「インフラの民営化」は独占企業が利益を優先すると利用者に不利益となる場合もあります。

ということで、「新自由主義(Social liberalismも新自由主義とされるようですが、昨今の慣用的な用法に倣って当記事ではネオリベのみを新自由主義と表記することにします)」をどのように考えるべきかについて2節以後で議論していければと思います。

 

2. 新自由主義囚人のジレンマを引き起こす
2節では「新自由主義囚人のジレンマを引き起こす」という点について論じたいと思います。「囚人のジレンマ」についてざっくりと掴むなら、「個々人の利益の追求により、全体の総和がマイナスになる状況」と理解すると良いです。
直感的には「1人だけルールを破れば得するけれど皆が破ればマイナスになる」という状況です。具体的には「補助金が出る休業要請」などがわかりやすく、休業要請を1店舗だけが破るならその店舗だけが客を占有できるので利益が出ますが、休業要請を破る店舗が増えると補助金の方が高くなりかつ全体のリスクも減らないため休業した方が得になると考えるとわかりやすいかと思います。

さて、この囚人のジレンマですが、「ネオリベ(新自由主義)」的な考え方を中心に社会運営がなされていると非常に起こりやすくなります。というのも世の中の多くの「規制」は「囚人のジレンマ」を回避するために設定されることが多く、これを緩和することで「囚人のジレンマ」になりやすいからです。極論を考えるなら「法律」がある理由も「囚人のジレンマ」の解消のためとみなすことができ、「窃盗を行ってはいけない」という話一つを考えても、「窃盗を行って良い」社会だと奪い合いが激化することで全体に不利益になることから「法律」は「囚人のジレンマ」を解消していると考えることができます。(憲法の視点から見るなら「公共の福祉」が主に該当します)

新自由主義」は「政府による個人や市場への介入は最低限とすべき」とする考え方ですが、「規制」が減ることは「自由」が増す一方で、「囚人のジレンマ」が生じるリスクも同時に増加します。関連で「自己責任」という言葉をよく見かける昨今ですが、「自己責任」の追求によって「法に触れなければ何をしても良い」となりかねません。金融商材などの話に多い印象ですが、顧客を結果的に騙す形になっても「自己責任」で流すケースなどはよく見かけます。

ということで、ネオリベ的な考え方は無政府状態によるモラルハザードにならないようにある程度のところで制御する必要が生じます。そのため続く3節では新自由主義をどのように制御すべきかについて考察を行います。

 

3. 新自由主義をどのように制御すべきか
3節では「ネオリベ(新自由主義)」をどのように制御すべきかについて論じたいと思います。筆者の見解としては、「競争によって全体がプラスになるか」を基準に考えると良いと思います。逆に「競争によって全体が不利益になる囚人のジレンマ的な状況」が生じる際は、「規制」や「国営」によって「囚人のジレンマ」を回避するのが良いのではと思います。

これについて考えるにあたっては取り扱う商品に「オリジナリティ」や「創意工夫」がどのくらい必要かで考えると良いと思います。官庁の許認可が必要かどうかで考えるのも良いと思います。
たとえば、道路や水道、ガス、電力、鉄道などの公共インフラはそもそもインフラ整備の都合上、独占的にならざるを得ません。こうなると価格設定は基本的に提供側が決めることになるため、「競争」によるメリットがほぼ存在しないと考えて良いと思います。JRは国鉄が民営化されてできましたが、JRは独自の「創意工夫」よりも「安定して事業を継続する」ことの方が社会貢献が大きいです。

もちろん民営化により、ある程度合理的な経営を行う必要性は生じることで改善する点もあると思いますが、公共インフラが過剰な利益追及を目指したところで実質的に独占市場もしくは寡占市場でサービスを提供している以上、過度な利益追及は望ましくありません。また、金融についても取り扱いがなかなか難しいです。銀行にはかなり規制が多いですが、公共インフラとしての役割も大きいと思います。

新自由主義の制御にあたっては、「必要以上に独占が進まないこと」などを基準に市場を分類することが重要だと思います。それに加えて、公共財を充実させ、セーフティネットをより整えることも重要だと思います。

続く4節ではこれまでの話を現代の日本にあてはめて考察を行おうと思います。

 

4. 現代日本の政策と新自由主義
4節では現代日本の政策における「ネオリべ(新自由主義)」について考えてみようと思います。昨今だと、小泉政権時の「派遣労働の規制緩和」や、安倍政権時の「アベノミクス」が「ネオリベ(新自由主義)」的な政策の代表例と考えて良いかと思います。

「派遣労働」が増加することによって、「労働者」単位で「労働」のピンハネが起こるようになりました。この際に契約関係が複雑になることにより、問題の所在がどこにあるのかわかりづらい構図になったと考えることができるかと思います。また、「アベノミクス」も結局は「金融緩和」を行っただけであり、単に金融商材のバブルが生じただけと評価されている場合もあります。どちらも賛否ありますが、GDPなどのマクロの指標で見ると結局全体の総和にプラスになったとは見えず、単に「囚人のジレンマ」を増やしただけと考えることもできるかと思います。

ということで、#7で論じたように社会保険料を取りやめるなどにより、「内需」をもう少し伸ばす政策は行うべきではないかと思います。

また、このような「ネオリベ」的な政策が多い状況で気をつけなければならないのが企業献金に基づき利権によって政策誘導がなされる「レントシーキング」です。「民営化」の名の下に特定企業と政権が癒着し、話が進んでは全く「民営化」の意味がありません。「レントシーキング」の対策にあたっては、現行の選挙区制度である「小選挙区比例代表並立制」に基づく選挙結果が組織票に左右されやすいということは抑えておく方が望ましいと思います。「小選挙区制」は「二大政党制」になりやすいですが、これに「議院内閣制」も加えると「与党の党首」に権力が集中しやすいという状況になります。そのため、より「三権分立」を厳格に運用する「大統領制(行政府と立法府の運営を完全に分ける)」か、「穏健な多党制」が生じやすい「中選挙区制」にするなどが望ましいと思います。

 

5. まとめ
#9では「ネオリベ(新自由主義)」が引き起こしやすい「囚人のジレンマ」に関して取り扱い、その解消について考察を行いました。この辺は「経済学」的な見地から見られることが多いですが、より詳しく見ていくと、1節で簡単に確認を行った「政治哲学」や「正義論」に関連してきます。
ネオリベ(新自由主義)」に関する議論は各論が多い印象を受けますが、「そもそもどのような状況が正しいのか」についての議論は少ない印象を受けます。この辺はイデオロギー論争にも関わるためあまり議論されないのだと思われるのですが、戦後の復興を担った世代から段々と世代交代するにつれて、社会全体の方針について論じられることやその土台の共通認識が減ってきた印象は受けます。

筆者の見解は、「政治哲学」の視点からジョン・ロールズの主張した「社会正義・社会的公正」や、それに大まかに対応する「経済学」の「ケインズ経済学」を世の中の主流におくべきとは思いますが、「何が正しいのか」については色々な考え方があって良いと思います。

とはいえ、「大まかにどのような考え方があるべきか」については知るべきだと思いますので、当記事は具体的な結論を導出したというよりは、1節で示したような様々な考え方があるという形でご確認いただけたらと思います。