Ch_3 南部アフリカ作戦の成果と巧みな交渉に学ぶ|『キッシンジャー超交渉術』読解メモ #4

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課題本として、「キッシンジャー超交渉術」を設定したので読み進めていきます。(国際政治ではなく、交渉術が本書のテーマのため、極力交渉術を中心にまとめていきます。あくまでアメリ国務長官の立場としての交渉のため視点に偏りがあるかもしれませんが、この点は論点としないものとします。極力交渉術のみにフォーカスするため、本の構成に沿わないで話を進めるところもあります。)

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#3では第2章の「戦略から実行へ」についてまとめました。

Ch_2 戦略から実行へ|『キッシンジャー超交渉術』読解メモ #3 - lib-arts’s diary
#4では第3章の「南部アフリカ作戦の成果と巧みな交渉に学ぶ」について確認していきます。
以下、目次になります。
1. 冒頭部
2. キッシンジャーの交渉結果についての評価
3. 南部アフリカ作戦を通して交渉者キッシンジャーから学べること
4. 感想・まとめ

 

1. 冒頭部(簡単な要約)
ローデシアの黒人多数支配を実現しようとするキッシンジャーの交渉作戦は概ね成功をおさめたものの、実際に実現していくにあたっては様々な困難を伴った。1976年11月にアメリカの大統領選でジェラルドフォードがジミーカーターに敗れたことで、キッシンジャー国務長官としての立場は危ういものになり、交渉のプロセスを支えられなくなった。
カーターは大統領に就任するに際して、反アパルトヘイトの立場を鮮明に打ち出したため、南アフリカ首相のフォルスターはローデシアに圧力をかけ続けようとする気力を失った。
ジンバブエの黒人多数支配は民主主義の原則の勝利ではあったが、実際には破滅的な政治体制へと繋がった。1980年の総選挙でロバートムガベは大勝利を収め新たな独立国家ジンバブエ初の黒人首相になったが、その長きにわたる在任中には弾圧と暴力と汚職が横行し、同国の経済は目に見えて衰退していった。
このローデシアの黒人多数支配への以降は南アフリカにしばらくの時間の猶予はもたらしたが安定はもたらさず、フォルスターの後継のピーターウィレムボータはF・W・デクラークに政権を奪われ、最終的に南アフリカはネルソンマンデラとデクラークによる交渉によって黒人多数支配に移行し、それはジンバブエ(ローデシア)の場合よりはるかに幸福な結果をもたらした。


2. キッシンジャーの交渉結果についての評価(簡単な要約)
頑迷なイアンスミスに黒人多数支配を受け入れさせることができるかどうかがキッシンジャー外交政策の試金石だったとすれば、当時のメディアの高評価の見出しはキッシンジャー外交政策が成功したことを物語っている。
当時の英国首相のジェームズキャラハンはキッシンジャーの「際立った貢献」を鷹揚に讃え、「アメリカの果敢な介入がなければスミスが態度を変えることはなかっただろう」と述べている。
スミスの歴史的な譲歩を土台としてキッシンジャーが計画したジュネーブの会議はローデシアの黒人支配について地域の合意を形成できなかったため、一部の学者は南部アフリカにおけるキッシンジャーの交渉を批判しているが、キッシンジャーの一連の交渉を失敗と決めつければその多大な貢献を見逃すことになる。ここで自信を持って言えるのは、キッシンジャーの交渉がスミスの宣言につながったことと、その宣言自体が重要だったことである。控えめに言っても南部アフリカを舞台とするキッシンジャーの複雑な交渉はタレーランの有名な格言である「政治的手腕の秘訣は、必然的な結果を予見し、それが起きるのを早めることだ」を反映していたと言える。
一連の出来事からおよそ23年後、キッシンジャーは自ら判決を下し、「地政学的な観点から見れば我々はアフリカ外交の目的を達成した。アンゴラでの大失敗の半年後、アメリカは自国にはアフリカで成果を出す能力があることを証明し、南部アフリカにおける国際戦争は回避された」と述べている。


3. 南部アフリカ作戦を通して交渉者キッシンジャーから学べること(簡単な要約)
第1章〜第3章で取り扱ったキッシンジャーの南部アフリカにおける交渉を通じて見られた一連の交渉の特徴とその原則について下記にまとめる。

キッシンジャーは交渉の微妙な動きを察知し、各段階で当事者とその利益が相互に関わり得るのかを後半に渡って理解しており、一連の交渉は戦略的だったと言える。
キッシンジャーにとっての交渉戦略は、整然と実行して行くべき青写真ではなくむしろ一つの概念であり、ほかのプレーヤーの動きや新たにわかった情報、ほかの当事者の反応、状況の変化に応じて進化し、適応していくというものであった。キッシンジャーは戦略的に考えたが、臨機応変に行動した。
キッシンジャーのアプローチは現実主義的であり、交渉は目的ではなく、また一方の優勢を他方に認めさせるためのものでもなかった。
キッシンジャーはアメとムチを交渉に欠かせない要素と見なしていた。
キッシンジャーは関与し得るすべての当事者との協力体制を巧みに築いていった。
キッシンジャーは大きな戦略に「ズームアウト」しつつ、個々の相手に「ズームイン」することを重視した。
・心理学的な洞察から、キッシンジャーは重要な当事者と良好な関係を築くことの重要性を認識していた。
キッシンジャー自身がこれらの複雑な交渉を主導したのは明らかだが、プロセスの中核にいた精鋭メンバーたちの協力が欠かせなかった。


4. 感想・まとめ
#4では第3章の「南部アフリカ作戦の成果と巧みな交渉に学ぶ」についてまとめました。パート1のまとめということで若干これまでと内容がかぶっていましたが、まとめとして非常に参考になるものでした。
#5では第4章の「戦略 ー 広い視野からの交渉」について確認していきます。