ローマ帝国②(三頭政治〜帝政ローマへの移行)|国や企業の歴史に学ぶ良い社会・強い組織についての考察 #5

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このシリーズでは「良い社会」や「強い組織」についてまとめていきます。詳細の連載の経緯や注意事項などについては#1にまとめました。

良い社会とは何か、強い組織とは何か|国や企業の歴史に学ぶ良い社会・強い組織についての考察 #1 - Liberal Art’s diary

#2では春秋戦国〜秦の統一にについて、#3では秦の滅亡〜楚漢戦争、漢の成立までとそれにあたっての組織論的な考察をまとめました。

春秋戦国〜秦の統一における中国史と組織論|国や企業の歴史に学ぶ良い社会・強い組織についての考察 #2 - Liberal Art’s diary

#4以降ではローマ帝国について取り扱います。ローマ帝国は国力が大きく、歴史が長く、文化も発展しているなど考察したい点が数多くあるため、何度かに分けていくつかの視点から取り扱っていく形式にできればと思います。
#4ではポエニ戦争について取り扱いました。

#5では三頭政治帝政ローマへの移行について取り扱います。
以下、目次となります。
1. 背景
2. 第一回三頭政治カエサル
3. オクタウィアヌス帝政ローマへの移行
4. まとめ


1. 背景
今回の主な話としては、共和制ローマ(紀元前509年頃〜紀元前27年)から帝政ローマ(紀元前27年〜395年、東西分裂まで)への移行になります。より具体的には第一回三頭政治が成立した紀元前60年からオクタウィアヌス地中海世界を統一後、紀元前27年に帝政へ移行し、パクス・ロマーナ(ローマの平和)を実現したところまでをメインに取り扱います。

内乱の一世紀 - Wikipedia

1節では上記の内容を元にこの第一回三頭政治が生じた背景について見ていきます。

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まず時代背景として、#4で取り扱ったポエニ戦争の後、ローマは地中海の覇権を握り、広大な領域を支配するようになりました。一方で、共和制ローマ統治機構都市国家の統治から生まれたものであり、広大な領土を統治するのにふさわしいものではなかったとされています。征服地の拡大に伴って、ローマは貴族に占有を許可し、貴族は属州から搾取を行ったとされています。またそれに伴い、没落した農民がローマに流入してローマの人口が膨れ上がり軍務にもつくことで、元々が土地所有の農民が中核をなしていたローマの軍隊の軍制が変容したとされています。このようにローマの拡大に伴い、国家を取り巻く状況が大きく変化していたというのは抑えておくと良さそうです。

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この問題の根本的解決に取り組むにあたって、ティベリウスグラックスが社会再建に向けた制度改革を推進したが、その過程で元老院と対立し紀元前133年に倒されたことを契機にローマでは「内乱の一世紀」に突入したとされています。

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混迷を見せていた共和制ローマですが、ガイウス・マリウスによる軍制改革により、ローマ共和国の軍隊は力を取り戻しました。一方でこれがきっかけで軍を構成する兵士が市民兵ではなく職業軍人となり、元老院ローマ市よりも直属の上司である将軍に忠誠心を抱くようになり、これが2節で取り扱う第一回三頭政治が生じる原因になりました。


2. 第一回三頭政治カエサル
2節では第一回三頭政治を中心に取り扱います。

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三頭政治 - Wikipedia

上記が第一回三頭政治の概要ですが、三頭政治(Triumviratus)という言葉自体は後からつけられたというのがあるものの、元老院に対抗できるほど将軍の力が大きくなっていた背景としては1節で取り扱ったマリウスの軍制改革があったと思われます。
この三頭政治自体はポンペイウスカエサルの争いになり、戦いに勝利したカエサルも紀元前44年に暗殺され崩壊しますが、権力自体は元老院に戻るではなくカエサルの後継者として台頭したオクタウィアヌスアントニウスに移ったとされています。


3. オクタウィアヌス帝政ローマへの移行
3節では第二回三頭政治オクタウィアヌスによる帝政ローマへの移行について見ていきます。

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第二回三頭政治は上記のようにカエサルの後継者によって構成され、共和制派を粛清し政敵がいなくなったことで、それぞれが争うようになりました。

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アクティウムの海戦 - Wikipedia

最終的にオクタウィアヌスアントニウスの争いになり、上記のアクティウムの海戦にオクタウィアヌスが勝利し、内乱の一世紀に終止符を打ち地中海世界の統一を果たし、その後帝政に移行していったとされています。

4. まとめ
#5では三頭政治帝政ローマへの移行について取り扱いましたが、特に着目したいのが都市国家としてのローマが属州の拡大にあたって政治の改革が十分に行えなかったという点です。1節で取り扱った背景の話では、少数の貴族が力を持つことで農民が無産市民化し、それによって社会全体が大きく変わったことについてまとめられていました。これは現代の資本主義社会でも似たようなことが起こる可能性が考えられるため、注目が必要かもしれません。
富の偏在は機会平等の結果として生じるものであれば、ある程度はそうあるべきとも思われますが、世代を超えての世襲がセットになると無産市民の中でも有能な人間がいた場合、次やその次の世代において社会構成が多く変わる原因になると思われます。
#1でより「良い社会」を「自由と公共の福祉のバランスが取れた社会」としましたが、世襲によってある程度階層が固定される社会は「自由」とは言えないと思うので、この辺はある程度機会平等が保たれるような社会にするのが望ましいのではと思われます。
#6以降では帝政ローマについて取り扱っていきます。