Ch.5_マネジメントに正解はない|『H.ミンツバーグ経営論』読解メモ #7

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課題本として、「H.ミンツバーグ経営論」を設定したので読み進めていきます。

H.ミンツバーグ経営論 | 書籍 | ダイヤモンド社
#1、#2では第1章のマネジャーの職務(その神話と事実の隔たり)についてまとめました。

Ch.1_マネジャーの職務(前編)|『H.ミンツバーグ経営論』読解メモ #1 - lib-arts’s diary

Ch.1_マネジャーの職務(後編)|『H.ミンツバーグ経営論』読解メモ #2 - lib-arts’s diary
また、#3では第2章の「計画は左脳で経営は右脳で」について、#4では第3章の『プロフェッショナル組織の「見えない」リーダーシップ』についてを取り扱いました。

Ch.2_計画は左脳で経営は右脳で|『H.ミンツバーグ経営論』読解メモ #3 - lib-arts’s diary

Ch.3_プロフェッショナル組織の「見えない」リーダーシップ|『H.ミンツバーグ経営論』読解メモ #4 - lib-arts’s diary
#5、#6ではそれらを受けて第4章の『参加型リーダーのマインドセット』を取り扱いました。

Ch.4_参加型リーダーのマインドセット(前編)|『H.ミンツバーグ経営論』読解メモ #5 - lib-arts’s diary

Ch.4_参加型リーダーのマインドセット(後編)|『H.ミンツバーグ経営論』読解メモ #6 - lib-arts’s diary
#7では第5章の『マネジメントに正解はない』を取り扱います。
以下、目次になります。
1. 企業経営に蔓延する「自己満足」という悪癖
2. マネジメントに関する10の考察
3. 感想・まとめ


1. 企業経営に蔓延する「自己満足」という悪癖(簡単な要約)
マネジメントの世界は不可思議なことこの上なく、経営者は多額の報酬を与えられ大きな権勢を振るっているにも関わらずおよそ常識を知らない。少なくとも流行のマネジメント理論、そしてマネジメント慣行の大多数は全くの常識外れである。
実際マネジメントは不在と言うべきだと思われ、それは経営者とマネジメントすべき対象との間には深い溝がありそれが様々な問題を引き起こしているからである。また、その原因はマネジメントが組織や顧客に奉仕するのではなく、「マネジメントのためのマネジメント」として行われることにある。
「マネジメントに関する10の考察」を行ったスピーチを上記に基づいて肉付けを行った(2節で内容を取り扱います)。

 

2. マネジメントに関する10の考察(簡単な要約)
下記で10の考察をそれぞれまとめていく。

考察1. 組織には頂点も底辺もない。
組織の頂点や底辺という比喩は誤解を招きかねない。組織を構成するのは①外縁部にいて社会とのつながりを保つ人々、②内側にいて社会の現実に疎くなった人々、そして③両者の間を懸命に取り持とうとする大勢のミドル・マネジャーである。
CEOは組織図の上で頂点に位置するのだが、経営陣を中心に位置付けてドーナツ状に日常業務を熟知した人を配置するなど別の表し方を取り入れるのも悪くないと思われる。業務の最前線に近いと物事がよく見えるが視野は所属部署に限られる。反対に、中央の経営陣はあらゆる方向を見渡せるが最前線から遠いため見通しは良くない。そこで両者を連携させることが重要になり、大多数の組織は見識あるマネジャーを必要とする。円全体を巡って、円周近くの様子をその目で確かめ、中央の人々にそれを伝えるミドルマネージャが欠かせない。


考察2. 経営上層部のポストを減らすべき時が訪れた。
組織全体として階層が減らされても経営上層部だけは逆にポストが増やされる傾向にあるが、この際ただ財務をコントロールするだけの「お偉いさん」が増えるため、誰もが激しい怒りや苛立ちを覚えることになる。
上層部のポストが増えても付加価値は全く増えず、むしろ新設のポストに就いた人々は業績数値にとらわれるあまり、事業の真の価値を損なってしまう。事業の可能性を狭め、瑣末な財務パフォーマンスのみを問題にするようになってしまう。
このため、今こそミドル・マネジャーの削減を進めてきた人々に大鉈を振るうときではないかと思われる。


考察3.「合理的(lean)」とは「ケチ(mean)」と言う意味である。長い目で見ると、合理化を進めても利益を上昇させることすらできない。
合理化とはつまりケチという意味で、人材をこのように取り扱うのは十分な競争力を持たないからだと思われる。そのため社員の首を切るのは決して誇れるようなことではないと思われる。


考察4. 有効な戦略が生まれないのは、概ねCEOが戦略家になったつもりでいるからである。
偉大な戦略家は創造性にあふれているか、極めて懐が深いかのどちらかである。ところが大多数の経営者はいずれの資質も持ち合わせていない。
創造性溢れる人々は空想的なところがあるため、ほとんど見過ごされていた点に目を向けることができる。他方、懐の深さを持ち味とする人々は他の人材から優れた戦略を引き出すことに長けていて、組織を育てる際にも真摯な問いかけや創造性の発揮を促す。創造性を武器とする戦略家は円形の組織の中心から周縁部に影響力を及ぼす。他方、懐の深さを持ち味とするタイプは、戦略的発想を全社に学ばせることで円全体の力を高める。
しかし、戦略家とされる人々の大半は組織の最高位を占めて戦略を練っているそぶりを見せているだけである。理論上好きのない戦略を考案して、実行については誰かに任せる。こうなると戦略はチェスのようなゲームになってしまい、事業部や企業など大きな組織はアナリストから高い評価を引き出すために無造作に動かされる。これにより企業の大きな動きばかりが注目される中、個々の駒が疲弊してしまうという状態が生じてしまう。組織再編に費やされた膨大なエネルギーを代わりに事業の体質強化に注いだらどれだけ成果が上がるかは常に意識しておく必要がある。


考察5. 分権化は中央集権を進め、エンパワーメントは人々から権限を奪う。測定は何も測定できずに終わる。
「分権化」「中央集権」「エンパワーメント」「測定」といったバズ・ワードは問題を解決するどころか新たな問題の種となってしまう。
エンパワーメントが真に意味するのは「人々からこれ以上権限を奪わないようにすること」であり、これは階層性(ヒエラルキー)への回帰を意味する。
優れた経営者(組織の頂点でなく中心にいる経営者)は、組織の精神を守っていると考えることができる。


考察6. 偉大な組織は一度築き上げれば、偉大なリーダーを必要としない。
偉大な組織を作り上げるには偉大なビジョナリーが欠かせないが、一度組織が築かれたら英雄は必要とされない。有能で献身的で懐の深いリーダーがいて、現実に目を配り、組織の精神を醸成していればそれで良い。


考察7. 偉大な組織には「魂」があるが、「脱」「非」「再」などを冠した言葉はその魂を台無しにする可能性が高い。
新しい手法を取り入れたいと心から思っているなら、ありきたりの名前をつけてはいけない。「脱」「非」「再」から始まる呼称などは何としても避け、これまでにない呼称を考え出す方が良い。
そうすれば意味を説明する必要が生まれ、自分でも真剣に考えざるをえなくなる。問題は手法そのものではなく、新しい手法に何も考えずに飛びつく姿勢にある。


考察8. 従来型のMBAプログラムを廃止すべき時が訪れた。
従来のMBAコースで教えているのはマーケティング・リサーチや財務分析といった専門職にふさわしい技術であって、マネジメントではない。マネジメントで必要なのは手法ではなく実戦である。
MBAは組織の中層に外から飛び込んで底辺のことを何も知らないまま出世の階段を上っていくための切符ではあってはならない。


考察9. 組織に必要なのはたゆまぬ心配りであって、「余計な治療」ではない。
経営者は余計なことをする人々があまりに多い。経営者は経営手法や組織を改善しようとたえず大きくメスを入れ、様々なものを取り除く。その挙句に手に負えなくなった事業を放り出す。
組織は育てる必要があり、常に変わることなく世話をして慈しむべきである。企業社会は高い資質を持った人材をほとんど生かせずにいる。


考察10. 今日のマネジメントが抱える問題は、この論文の欠点に集約されている。全てを簡潔にまとめなくてはならず、深い探求ができないまま終わる。


3. 感想・まとめ
#7では第5章の『マネジメントに正解はない』を取り扱いました。考察4と9が同様の意味と思われましたが思いあたる節がいくつかある内容でした。変化は必要だけれども目的のために変化が必要なのであり、変化そのものを目的にしてしまってはいけないというのは常に意識しておくと良さそうです。
#8では第6章の『戦略クラフティング(Crafting Strategy)』を取り扱います。