「法の精神」と「三権分立」|法と国家を考える #2

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当シリーズでは「法」と「国家」を考えるというテーマで色々と議論をしていきます。#1では連載の経緯に加え、最初に簡単に注意事項についてまとめた上で、「法」や「国家」の言葉の意味の整理を行いました。

#2では現代の政治における原則となっている「三権分立」について見ていきます。具体的な国家について論じてしまうと各論になるので、まずは総論としてモンテスキューの「法の精神」に沿って「三権分立」について抑えた上で、議院内閣制と大統領制について確認していければと思います。
以下目次になります。
1. モンテスキューと「法の精神」
2. 「三権分立」の概要
3. 大統領制と議院内閣制の比較
4. まとめ


1. モンテスキューと「法の精神」
1節では「三権分立」を原則から理解するにあたって、モンテスキューと、モンテスキューが著した「法の精神」について確認していきます。

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シャルル・ド・モンテスキュー - Wikipedia

まずは簡単にモンテスキューの生涯について確認します。モンテスキューは1689年に生まれ、上記のような経緯を経て1748年に「法の精神」を出版しています。「法の精神」の出版に当たっては20年をかけて執筆したとされています。また、イギリスの政治に影響を受け、フランス絶対王政を批判したとある時代背景としては、名誉革命(1688〜1689)を経て立憲君主制(君主の権力が憲法により規制されている君主制)を導入したイギリスと、ルイ14世(〜1715)、ルイ15世(在位: 1715〜1774)の頃の絶対王政のフランスというのは抑えておきたいです。なお、この少し後のフランス革命(1789〜1799)を経てナポレオンの台頭へとつながるのがこの頃のフランスの歴史です。

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法の精神 - Wikipedia

次に「法の精神」について確認します。「法の精神」は政治哲学の著書であり、日本では権力分立を定式化した著書として有名だが、その論点は政治学、法学、社会学、人類学など多岐にわたっているとされています。本における主張としては、立憲主義、権力分立、奴隷制廃止、市民的自由の保持、法の規範などがあるとされています。また、政治的・法的諸制度はそれぞれの共同体固有の社会的・地理的特質を反映したものであるべきだというのも主張とされています。

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また、出版にあたっての影響としては、フランス革命中の1791憲法の制定に影響を与えた他、フランス以外にも広がり、アメリカ合衆国憲法(1787年作成、1788年発行)の枠組みにも多大な影響を及ぼしたとされています。

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内容としては、テーマの一つ目としてまず立憲論が記述されています。3つの政治システムとしては共和政、君主政、専制政とされており、当時は王政が多かったことから君主政や専制政の記載の取り扱いが大きいのだと思われます(現代は基本的には共和制の国が多いと思いますが詳細の区別はなかなかややこしそうなのでここでは一まず厳密には気にしないものとします)。共和政においては私利よりも公益を優先しようとする「徳」が政治システムの根底にあるとされています。

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テーマの二つ目として政治的自由の確立にあたっては、「統治権力の分立」と「民法と刑法が適切に制定されること」の二つが必要であるとされています。ここで「統治権力の分立」が立法権司法権、行政権はそれぞれ分有されるべきであると論じたのが現代では「三権分立」となっています。ここで、権力が分立していなければ共和政においてさえも自由は保証され得ないとされているところは注意が必要だと思います。

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テーマの三つ目としては、「気候風土と社会」が論じられています。ここでは地理や気候が人々の「精神」を生み出す特有の文化とどのように作用し合っているかを論じているとされています。


2. 「三権分立」の概要
2節では1節の内容を踏まえて「三権分立」について確認していきます。

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権力分立 - Wikipedia

上記では権力分立(separation of powers)の典型的な例として「三権分立」が挙げられています。権力分立は、「権力が単一の機関に集中することによる権利の濫用を抑止し、権力の均衡を図ることで、国民の権利・自由を確保しようとするシステム」とされています。

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権力分立の基本原理としては、「権力の区別分離」と「権力相互の抑制均衡」が挙げられています。一つ目の「権力の区別分離」は権限の分離と人の分離が含まれ、各権力は原則として他権力に干渉したり自らの権力を放棄することは許されず、同一人物が異なる権力の構成員であってはならないとされています。二つ目の「権力相互の抑制均衡」にあたっての代表例として立法、行政、司法に分けた「三権分立」があるとされています。


3. 大統領制と議院内閣制の比較
3節では大統領制と議員内閣制の比較について確認します。

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上記は2節と同じくWikipediaの権力分立に記載があったためキャプチャしました。ざっくり概要を把握するなら、権力分離にあたって全体のシステムをどのように構成するかの違いです。この際に注意する必要があるのが、兼職の禁止(人の分離)です。ここでアメリカ型の大統領制では立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権を担う大統領と立法権を担う議員を個別に選出する政治制度を取るとされています。一方で、日本も導入している議院内閣制は、議会が選出した首相が組閣して、内閣が行政権を担い、内閣は議会に対して政治責任を負うとされています。両者を比較すると、大統領制の方が権力分立が明確で、議員内閣制は緩やかなものになっていると考えておくと良いと思います。

話題は日本を例に議論しますが、ここ20年ほどの政治を拝見するに二大政党制と議院内閣制の相性が良くないのではと感じています。議員内閣制は緩やかな権力分立のため、議会と内閣の間である程度のパワーバランスが必要になります。日本の場合、かつては自民党一党独裁でしたが、内部に派閥が4〜5ほどあり、この中で均衡が保たれていました。これは中選挙区制(一つの選挙区から大体3〜5人を選出する選挙制度)という選挙制度に起因しています。デュべルジェの法則というのがあり、選挙区の定員+1の勢力が生じるというのがシステム的な理由とされています。
これを1994年の政治改革四法において、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制を導入し、以後この制度が日本において適用されています。この際の選挙制の変更は「大政党にとって中選挙区制は政策上の差異のない同一政党内の議員同士が最大のライバルとなる制度であるため、議員(特に与党議員)は地元への利益誘導により選挙の勝利を図ろうとする」のが理由に挙げられています。

政治改革四法 - Wikipedia

これにより派閥の力は弱まり、党首の権限が大きくなり、選挙区+1なので二大政党制になったというのが現代の政治の背景にはあると思います。

さて、以下こちらについてちょっとした考察なのですが、近年インターネットの普及に伴いメディアが多様化しています。であれば中選挙区制に戻すというのもありなのではないでしょうか。SNSなどでの議論は様々な意見が飛び交うため、二元論に収束させるのはあまり望ましくないのではないかと思います。興味嗜好が多様化してきている今日、政治のあり方も多種多様であっても良いのではないでしょうか。

上記は単なる思い付きであり、詳しく考察できているわけではないため、3節はこのくらいにしようと思います。


4. まとめ
#2では「法の精神」と「三権分立」について取り扱いました。
#3では日本国憲法第12条の「自由権」と「公共の福祉」について取り扱います。