マルコフ過程で考える所得再分配|マクロ経済を考える #5

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昨今時折話題になるのが所得再分配です。

上記の記事で「日本の国債残高」について確認しましたが、「名目GDP比の国債残高」をより詳しく評価するにあたって「所得再分配」の話題を先に取り扱う方が良いので、「マクロ経済を考える」の#5では所得再分配について考察します。
様々な見方がありますが各論を一つ一つ取り扱うと複雑になるため、なるべく単純化して考察しようということで、シンプルなマルコフ過程として所得再分配を議論していければと思います。

以下、「マクロ経済を考える」の#5の目次になります。
1. 前提整理(問題設定やマルコフ過程の概要の紹介)
2. 所得再分配と資産の定常状態
3. 定常状態における資産比率はどうあるのが望ましいか

 

1. 前提整理(マルコフ過程の概要の紹介と問題設定の定義)
1節では当記事の前提の整理ということでマルコフ過程の概要について簡単にご紹介し、問題設定の定義を行います。

まずマルコフ過程の概要ですが、ざっくり「未来の挙動が現在の値だけで決定される確率過程」を意味するとご理解いただけたらと思います。例としてよく挙がるのは天気で、次の日の天気を予測するにあたって参考になるのは直近の天気であり、300日前の天気はあまり関係がありません。このような確率過程(ざっくり理解するなら時系列的に確率を考えたもの)をマルコフ過程と呼びます。
マルコフ過程については概念の理解だけならそれほど難しくないので、詳しくは下記を参照ください。

マルコフ過程 - Wikipedia

次に問題設定ですが、基本的には2:6:2で階級分類を行うものとします。階級のイメージを下記にまとめてみました。

◆ 中世ヨーロッパのイメージ
・貴族・地主階級
・市民階級
・奴隷

士農工商
・士族やその他権力者
・農工商
・えた・ひにん

現代社
・投資家、大企業の経営者、政治家 etc
・一般労働者
生活保護など 

色々な分け方はできると思いますが、働き蜂の法則などと同様に大体2:6:2で分ければ大枠としては問題ないかと思います。この階級の割合ですが、こちらを可変とすると取り扱いが大変なので機械的に2:6:2で分けるものとし、それぞれの階級の保持する所得の全体比率だけを2節では考えるものとします。また、それぞれの階級の構成員の階級間の入れ替わりについては起こったとしても全体の構造自体にさほど影響がないため(成功者がいたとして、それは個人の問題で全員成功者になるわけではない)、構成員の移動も無視することにします。

ということで、2節以降では2:6:2(富裕層:労働者:その他で表現します)で分けた階級とその階級間の資産の移転(所得としないのは生活費分の所得は引いた上で議論したいからです、資本ではなく資産なので貯蓄や株式や土地などをざっくり数値換算したものと考えることにします)のみをマルコフ過程で考えるものとします。

 

2. 所得再分配と資産の定常状態

2節では1節でまとめた前提を元に、全体に占める資産比率の移転についてマルコフ過程に基づいて簡単に計算を行ってみます。まずは簡易的な例をということで、結果平等(全員が同じだけの資産を持つべきと考える)を前提に計算を行ってみます。
\left(\begin{array}{rrr} 0.2 0.2 0.2 \\ 0.6 0.6 0.6 \\ 0.2 0.2 0.2 \\\end{array}\right)\left(\begin{array}{rrr}0.2\\0.6\\0.2\\\end{array}\right) = \left(\begin{array}{rrr}0.2\\0.6\\0.2\\\end{array}\right)
計算は上記のようになり、それぞれの階級が持つ資産は一度行列をかけても同じ値になります。なぜこのような計算結果になるかというと、たとえば労働者は全体の6割を占めるので、他の階級から6割分の資産の移転を行っているからです。他の階級も同様の計算を行っているので、全体に占める人数の割合で資産が配分されるような計算が行われます。
\left(\begin{array}{rrr} 0.2 0.2 0.2 \\ 0.6 0.6 0.6 \\ 0.2 0.2 0.2 \\\end{array}\right)\left(\begin{array}{rrr}1.0\\0.0\\0.0\\\end{array}\right) = \left(\begin{array}{rrr}0.2\\0.6\\0.2\\\end{array}\right)
ここで面白いのが、かける行列(以下、遷移確率と呼ぶことにします)が同じであれば、初期状態において富裕層が全部の資産を持っていたとしても人数の割合に資産が分配されるということです。
\left(\begin{array}{rrr} 0.2 0.2 0.2 \\ 0.6 0.6 0.6 \\ 0.2 0.2 0.2 \\\end{array}\right)
要するに上記の行列(遷移確率)が再配分の役割を果たすということで、初期状態によらず平等に資産の分配を行います。

さて、結果平等の状態について見たわけですが、現実の世界でこのような状況になると労働意欲が失われ社会は停滞すると言われています。それでは他にどのような資産の遷移確率が考えられるでしょうか。
\left(\begin{array}{rrr} 1 1 1 \\ 0 0 0 \\ 0 0 0 \\\end{array}\right)
それでは上記のような遷移確率はどうでしょうか。これは富裕層のみが資産を独占するという形になります。
\left(\begin{array}{rrr} 1 1 1 \\ 0 0 0 \\ 0 0 0 \\\end{array}\right)\left(\begin{array}{rrr}0.2\\0.6\\0.2\\\end{array}\right) = \left(\begin{array}{rrr}1.0\\0.0\\0.0\\\end{array}\right)
\left(\begin{array}{rrr} 1 1 1 \\ 0 0 0 \\ 0 0 0 \\\end{array}\right)\left(\begin{array}{rrr}1.0\\0.0\\0.0\\\end{array}\right) = \left(\begin{array}{rrr}1.0\\0.0\\0.0\\\end{array}\right)
実際に適用して計算してみると上記のようになり、社会の資産を富裕層が独占する形になります。

他にも見てみましょう。
\left(\begin{array}{rrr} 1 0 0 \\ 0 1 0 \\ 0 0 1 \\\end{array}\right)
それでは上記のような遷移確率はどうでしょうか。これは資産の移転が全く起こらない状況です。
\left(\begin{array}{rrr} 1 0 0 \\ 0 1 0 \\ 0 0 1 \\\end{array}\right)\left(\begin{array}{rrr}0.2\\0.6\\0.2\\\end{array}\right) = \left(\begin{array}{rrr}0.2\\0.6\\0.2\\\end{array}\right)
\left(\begin{array}{rrr} 1 0 0 \\ 0 1 0 \\ 0 0 1 \\\end{array}\right)\left(\begin{array}{rrr}1.0\\0.0\\0.0\\\end{array}\right) = \left(\begin{array}{rrr}1.0\\0.0\\0.0\\\end{array}\right)
このように初期値に依存する形となります。

少し極端な例が多かったので、もう少しバランスを取る方法を考えてみます。
\left(\begin{array}{rrr} 0.75 0.75 0.75 \\ 0.24 0.24 0.24 \\ 0.01 0.01 0.01 \\\end{array}\right)
上記はいかがでしょうか。これだと75%、24%、1%の資産配分となります。構成員単位で見た場合は、225:24:3であり、大富豪などがいることも考慮するとこのくらいが妥当でしょうか。階級移動が起こりうる前提であればある程度健全と見て良いかもしれません。

一応、日本の民間の金融資産は1,800兆円ほどだったので、それぞれの階級に2,500万人:7,500万人:2,500万人で割り振ると、一人あたりの資産が5,400万円:576万円:72万円となります。細かい数値はあまり重要視していないので、ある程度妥当な範囲と見れるのではないでしょうか。

マルコフ過程を考えるにあたって、n+1の状況がnから動かないことを定常状態と呼びますが、この手の議論を行うにあたっては定常状態の考察が特に重要です。今回は定常状態の行列(行単位で確率が一致)を意図的に設定しましたが、この遷移確率の作り方次第では同じ行の値が同じになるまで掛け合わせて定常状態を導出することも考えられます。

ここまでの議論を元に、定常状態における望ましい資産比率について3節で論じてみようと思います。

 

3. 定常状態における資産比率はどうあるのが望ましいか
3節では資産配分が定常状態にある状況における望ましい資産比率について考察します。まずここまでの前提を下記に整理しました。

・階級を2:6:2の構成比率で分けた
・資産配分は定常状態のみを考えるものとした
・階級間の移動については起こり得ると考えるため、機会平等は階級移動で実現されると考えた

「階級間の移動は可能にする一方で、階級間の資産配分は定常状態を考える」というのは少々特殊な仮定と見ることができるかもしれません。社会の変化に伴い、ニーズなどの変化もあり、それぞれの状況でそれぞれの最適な資源配分が異なるからです。

しかし、逆にこの仮定を置くことで格差などの議論が取り扱いやすくなると思います。市場価値の議論としては他の見方もできますが、そもそも市場は社会が安定している前提で成り立つものであることは外してはいけません。そう考えると、2節で取り扱った2:6:2に対して75:24:1の資産比率(所得ではないので別途生活費は問題ないことに注意)は基準としては大きく外れたものではないのではと思います。この辺は詳しい数字を元に考えたわけではないので、大体のイメージを数値化したとご理解いただけたらと思います。

この記事の強調ポイントとしては、「具体的な数字の比率というよりは、大まかに2:6:2に階級を分けて、それぞれの資産の全体に占める比率を所得の再分配として政策レベルで管理する方が良いのでは」という点にあります。あまり詳しく考え過ぎると各論の議論にもなりかねないため、#5の記載はここまでとします。