フリードマン経済学へのささやかな疑問 〜金融商品の総量は規制すべきではないか〜|マクロ経済を考える #1

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ちょっとした興味でマクロ経済学や近年の政策や世界の動きを見ていたのですが、近年のベースになっているフリードマン経済学に対して少し疑問が湧いたので疑問の提起を行ってみようと思いました。(まだ論理構成が粗い印象のため、あくまで問題提起として見ていただけたらと思います。関連でよりしっかりした論述があるなら参考にしたいので共有いただけましたら嬉しいです。)
フリードマン経済学はざっくり言うと、景気のコントロールを貨幣の供給量を通じて行おうとするアプローチで、新自由主義的なレーガン政権、サッチャー政権、中曽根政権頃から世界中で用いられている手法です。1980年頃から主要国で用いられ始め、メインストリームとなったと考えて良いと思います。

さて、疑問に思った点についてですが、

フリードマンの経済学において、金融商品の総量は規制する必要はないのか

という問いになります。というのも、貨幣の量をコントロールする手法においてデリバティブ(金融派生商品)やビットコインなどの仮想通貨などの金融商品の総量が増えれば増えるほど、実体経済において流通する貨幣の量が減り、結果としてデフレが進むのではという懸念が考えられるからです。

現代貨幣理論(MMT)と国家の借金の問題(プライマリーバランス)なども度々話題にあがりますが、本質は国家の借金というより通貨発行量のコントロールにあるため、このプライマリーバランスという考え方自体がフリードマンの経済学に基づいていると考えて良いと思います。
この時、プライマリーバランスを考える際の「国家の借金」とは、要は「ある基準の時点から貨幣の発行量をどのくらい増やしたか」でしかないため、金融商品が増えれば増えるほど、実体経済における貨幣の価値が高騰し、デフレから抜け出せなくなってしまうのではというのがここで考えたい疑問です。
以下、下記の論点に沿って「フリードマン経済学をベースにするなら金融商品の規制を行うべきではないか」について議論してみます。(もしくは可能であるなら現在の貨幣流通量をゼロ基準に置き換えて残高を考えていくのも規制と同様な効果になると思います)
1. 新自由主義と格差
2. インフレ税という名の資本税
3. マイナス金利政策はやめるべき
4. インフレ税の回避と金融商材
5. 実体経済と金融経済の比率を指標化すべきではないか


1. 新自由主義と格差
1節ではよく議論される「新自由主義と格差」について論じてみたいと思います。「新自由主義は格差を生み出す」とはよく言われがちですが、格差以上に深刻なのが貧困の問題です。
ここで格差と貧困の違いとしては格差は「生活水準の差」に着目し、貧困は「そもそも生活ができない」に着目するものとします。格差については「機会平等」と「結果平等」なども含め、人それぞれ考え方があると思うので、1節では論じないものとします。
ということで、一旦貧困について論じてみます。格差については仕方がないと思う方でも貧困については放置をすれば治安が悪くなったり暴動が起きたりするのでさすがに防ごうというコンセンサスが取れると思います。

さて、この貧困を考える際に出てくるのがセーフティネットだと思いますが、日本では生活保護などが挙げられると思います。が、生活保護は水際作戦のように受給がしづらいなど、なかなか大変と言われています。また、全てを失わないとセーフティネットにアクセスしづらいというのもなかなか酷です。

ということでなるべく貧困にならないような社会を作る必要があります。これを考える上では最低賃金などですが、最低賃金が上がれば上がるほど企業側が雇いづらいという状況も生じます。貧困についてはなるべく生じないような政策を打ちつつセーフティネットの整備は重要だと思います。

ここまでの話は一般論としてよく言われる話なのでこのくらいにして、2節以降では「競争」に基づいた視点から格差や貧困を無くす方法についても議論してみたいと思います。


2. インフレ税という名の資本税
フリードマン的な貨幣の流通量をベースにした経済において、格差解消や再配分、貧困対策はどのように考えるのが良いでしょうか。ケインズ経済学では政府がお金を出して事業を行う財政政策によってデフレなどを解消しようという動きが多いですが、ここで考えているのはフリードマンの金融政策を中心とする経済学です。
格差について「r > g」を指摘したピケティの指摘だと、「資本税」を導入すべきだというのがあります。確かに資本税を取って課税すれば階級移動を流動化できそうです。が、なんとなく預貯金に税金がかかるのには抵抗を持つ人も多いのではないでしょうか。

そこで考えると興味深いのがインフレ税です。インフレ税とは物価の上昇と金利のギャップで生じる資本へのマイナスです。先進国において経済成長率2%あたりを目指す理由がいまいちよくわかっていなかったのですが、要はインフレ税によってある程度の再配分を意図しているのではと考えるとなかなか納得です。

結果を出した人が報われる社会は必要ですが、貧富の差があまりにも拡大し過ぎるのは望ましくありません。名目的に経済が成長し続ければ、それが自然と再配分になると考えることもできると思います。

ということは金利を下げれば良いということでしょうか。近年実施されているマイナス金利政策について3節で論じてみます。


3. マイナス金利政策はやめるべき
3節では日銀が実施するマイナス金利政策について論じてみようと思います。マイナス金利政策によってインフレ税が実現しやすくなると思いますが、これについてはやめる方が良いのではと思います。
というのも、公定歩合(銀行が日銀に預ける際の利率)がマイナスになると、銀行の収益が減るからです。競争社会においてはそれに対応すべきだという考え方もありますが、銀行の社会的ミッションを考えた際にある程度コンプライアンスを重視した経営の方が望ましいと思います。

マイナス金利政策によって収益が悪化した銀行はビジネスモデルの転換を試みるでしょうが、ある程度資産を安定して置いておけるという意味で銀行の社会的ミッションは大きいのではないでしょうか。

たとえばGDPの成長率を2%にするなら公定歩合を1%ほどでおいておけば銀行も余計なサイドビジネスに手を出さなくても収益をあげやすくなるのではないでしょうか。銀行のような社会的影響が大きな株式会社は効率化によるメリット以上にモラルハザードによるリスクの方が大きいと思います。


4. 資本家のインフレ税の回避戦略と金融商材
さて、インフレ税が緩く生じている状況において、資本家はどのような戦略を取るでしょうか。ここで潜在ニーズが大きいのが金融商材だと思います。
デリバティブや金、ブランド品、仮想通貨など、金融商品はちょっとした工夫で様々な商品を作ることができます。これを資本家はポートフォリオとして持つわけです。コロナショックでは明瞭でしたがこのような金融商品の相場は時に実体経済と乖離した値動きをすることがあります。また、リーマンショックのようにジャンク債が破綻して世界的な金融危機につながることもあります。

ここで冒頭の疑問である、「フリードマンの経済学において、金融商品の総量は規制する必要はないのか」の疑問が再度浮上してきます。フリードマン経済学は市場への政府関与を減らす考え方であるのに、リーマンショックのような大きな金融危機の場合は政府が介入せざるを得ません。

また、金融市場のみが過熱して実体経済にお金が回らないという状況も起きる可能性があると思います。金融市場のみが活発化するいわゆるバブルは単なる「ババ抜きゲーム」なので誰かしらが最後に泥を被ります。不動産や株式のような実体経済とリンクしている金融商材ならまだ良いですが、サブプライムローンのような明確な裏付けのない商材は大きなリスクを持ちます。

金融市場を一概に否定するのも違うと思いますので、続く5節では指標化について論じてみようと思います。


5. 実体経済と金融経済の比率を指標化すべきではないか
直近の例だとアベノミクス〜コロナショックは実体経済と金融経済の大きな乖離を生んでいる例だと思います。株バブルが起きている反面、実体経済における指標があまり良くないというのが度々指摘されています。
これらについて政策の失敗だという意見もありますが、そもそも「フリードマンの経済学において金融商品が多過ぎるのは大きなリスクを持つ」というのがあまり認識されていないのではないかと思いました。様々な識者の見解がバラバラに見えるのはこういったところもあるのではと思います。

ケインズ経済学の方がロバストで運用しやすいのかなとも思うのですが、「持続可能性への制約をどう入れるか」は議論しなくてはいけないと思うので、現行のフリードマンの経済学をベースにここでは考えてみました。

ということで実体経済と金融経済の比率を指標化し、それをベースに金融商品の規制を一定程度行うべきではないかというのが今回を通しての主張です。機会があれば数値化して計算してみるのも面白そうです。