Final_Chapter 企業家社会|『イノベーションと企業家精神』読解メモ #17

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上記のドラッカーの「マネジメント」のエッセンシャル版の付章を読んで、他の著作も時代背景を踏まえながら読んでみたいと思ったので、1985年頃の著作である「イノベーション起業家精神」を読みながら読解メモをまとめていきます。

イノベーションと企業家精神【エッセンシャル版】 | P.F.ドラッカー 著/上田惇生 編訳 | 書籍 | ダイヤモンド社
#16ではCh.19の「顧客創造戦略」について取り扱いました。
https://lib-arts.hatenablog.com/entry/drucker-innovation_16
#17では終章の「企業家社会」について取り扱えればと思います。
以下目次になります。

1. 企業家社会(Final Chapter)
1-1. われわれが必要とする社会
1-2. 機能しないもの
1-3. 企業家社会における個人
1-4. Final Chapterを読んでみての感想、考察
2. まとめ


1. 企業家社会(Final Chapter)
1-1. われわれが必要とする社会(本の内容の要約)
フランス革命を評した言葉として、トマス・ジェファーソンの晩年の「それぞれの世代がそれぞれの革命を必要とする」や、ゲーテの「存在の理由はなくなり、恵みは苦しみとなる」があり、これはフランス革命への幻滅を表している。革命は解決にはならない。
組織、制度、政策、製品、サービスも同様に生命を失った後も生き延びる。目的を達しても達しなくても一度出来上がったメカニズムは生き続ける。この際に良くないのが最初の前提が時とともに失われたとしても、メカニズム自体は生き残るということである。われわれは理論、価値、その他の人の心と手によるあらゆるものが年をとり、硬直化し、陳腐化し、苦しみに変わることを知っている。
隠して、経済と同様に社会においてもあるいは事業と同様に社会的サービスにおいてもイノベーションと企業家精神が必要になる。イノベーションと企業家精神が社会、経済、産業、社会的サービス、企業に柔軟性と自己革新をもたらすのは、変化が一挙にではなく段階的に行われるからである。期待した成果、必要な成果をもたらさなければ消えるからである。
イノベーションと企業家精神は、ジェファーソンがそれぞれの世代の革命によって実現することを望んだものを実現する。ちょうどマネジメントが現代のあらゆる組織において特有の期間となり、われわれの組織社会を統合する期間となったように、今やイノベーション起業家精神が、組織、経済、社会における生命活動とならねばならない。あらゆる組織がイノベーションと企業家精神を持って、正常にして継続的な日々の活動としなければならない。


1-2. 機能しないもの(本の内容の要約)
企業家社会において必要とされる政策と対策について考えるとき、重要なことは機能しないものを明確にすることである。理由としては、機能しない政策が今日あまりに人気があるからである。一般に理解されている意味の「計画」は企業家的な社会や経済にはなじまない。イノベーションはその本質からして、分権的、暫定的、自律的、具体的、ミクロ経済的であり、小さなもの、暫定的なもの、柔軟なものとしてスタートする。
また、ハイテクの企業家精神だけを持とうとするのも良くない。ハイテクはイノベーションと企業家精神の領域の一つにすぎず、膨大な数のイノベーションは他の領域にある。そして何よりも、ノーテク、ローテク、ミドルテクにおける広範な企業家経済を基盤とすることなくハイテクを持とうとすることを山腹抜きに山頂を持とうとするのに似ている。華々しくはあっても、小さな寸劇以外の何ものでもないハイテクのベンチャーにのみ関心を持ち、その他の分野でのイノベーションと企業家精神を鼻であしらう社会では、ハイテクに強い人たちも安定した大組織に職場とキャリアを求めてしまう。ハイテク以外のベンチャーはハイテクが必要とする資金を供給する上でも必要である。
確かにハイテクこそ最先端の刃であるが、そもそもナイフがなければ刃は存在できない。企業家的なビジョンと企業家的な価値観を持つ、活力あるイノベーターや企業家であふれた経済がまず存在しなければならない。


1-3. 企業家社会における個人(本の内容の要約)
企業家社会は継続学習を必然のものとする。これまでの社会では、学習は青年期あるいは少なくとも社会人になったとき完了するものと想定できたし、事実その通りだった。二一歳までに学ばなかったことはそれ以後に学ぶことはなかった反面、それまでに学んだことはその後の人生においてそのままずっと使うことができた。そのような前提の元に見習い制度も教育制度や学校も成立していた。職能、資格、教育、学校は今日でも多かれ少なかれそれを前提としている。
これからは特定の昇進コースのような道筋と到達点の明らかなキャリアはなく、一人一人の人間が自らの人生において、自らの意志によって、様々なキャリアを探し進んでいくことが当然となる。高等教育を受けているほど、企業家的なキャリアを選びm厳しい学習に挑戦していかねければならない。わずか15年後でさえ、自分が全く新しいことを行い、全く新しい目的を持ち、全く新しいキャリアを進んでいるかもしれないことを想定しておいたほうが良い。
一方、今日の世界中の教育制度は基本的には十七世紀ヨーロッパの教育制度の延長線上にある。内容は新しい内容が付加され修正されてきたが、学校や大学の構造は300年前と変わっていない。今日場合によっては過激なほどに新しい考え方と方法が、教育のあらゆるレベルで必要とされている。
企業家社会の到来は、人類の歴史における重大な転換点となるかもしれない。

 

1-4. Final Chapterを読んでみての感想、考察
新しい内容というよりは、全体の締めとして内容を振り返っている印象でした。中でも1-3の「企業家社会における個人」の論述が非常に興味深く、日本がここ30年低迷したと言われているのはまさにこの点においてだと思われました。
継続学習の必要性を認識しないまま1979年のハーバード大ヴォーゲル教授の「Japan as Number One」が評したような栄光にすがってしまったというのが問題だったのかなと思います。このころの日本はその時代にたまたまフィットした強さは持っていたとしても、本質的な意味での要因分析が社会全体としてはできていなかったのだと思います。


2. まとめ
本全体を振り返ってみても1985年の著作とは思えないほど、現代にもあてはまる内容が多く驚きの連続でした。
第1章で述べられていた『変化に対応し、変化を機会として利用する』を企業家や企業家精神の定義としていたのは非常に興味深かったです。ドラッカーの著作を読むまではSWOT分析の機会(Opportunity)や脅威(Threat)のニュアンスが掴めなかったのですが、「変化を脅威ではなく機会としてみなす」と考えることで非常にしっくりきました。
SWOT分析については深く理解できていなかったのでこれまではなかなか使わなかったのですが、大分わかるようになったので、今後は色々と用いてみたいなと思いました。